< 永遠のスタンダード POCKE >

 

ヤマハブース(のおねーさん・・・じゃなくて)を見ていると、目に飛び込んできて一瞬動けなくなった。下のおっちゃんではない、上の段でスポットを浴びている奇妙なバイクに、である。

「ポ、ポッケぇ?(・・)」 それは知らない人には全くわっけのわからんへんてこなスタイルのバイクにしか見えないだろうが、ハンドルの曲がり具合、エンジンこそ載っていないがフレームのカーブレイアウトといい、テールの具合、そしてシートの形状からして、どこからどうみたってそれはPOCKEであった。な、なんなんだ、一体!!

 

後で説明を聞いてわかったんだけど、すっかり浦島君状態になってしまっていたようだ。なんでかというと、もうすでに販売されているんだって(笑)あは〜。ヤマハHP参照

下の段にはこれまたなっつかしい「ヤマハ パッソル」 メーカーの奥さん買い物用にという思惑とは裏腹に、ヤンキー兄ちゃんが女もんのサンダルで走るスタイルを築いた初代パッソルの出現はスクーターというカテゴリーを確固たるものにし、そして50ccのヘルメット装着を義務付けさせてしまうほどの販売台数と事故率を引き起こし、全てをひっくるめて一大ブームにしてしまったのである。

この2台がヤマハの電動スクーター(らしい、まだ全部HP読んでないからわからないけど)。航続距離が25km、引っこ抜いて見せてくれたリチウムイオン電池は電動自転車の初期のような大きさだった。最高速度は40km/hくらいだとか。またがってアクセルとひねると「ウィ〜ン♪」って軽やかにRタイヤが回る。う〜ん、走ってみたい。これは面白い。購入時には今なら国からの補助金も出るらしい、公害対策系のものにはそうみたいね。

ヤマハのデザイン室には優秀な人が多いと思ってたけど、こういう具合にポッケが復活するとは夢にも思っていなかった。ハンドルが折りたためるという点まで全くいっしょだったのだ。泣かせる〜!ヤマハ!

 

で、がさごそと探したらあったあった。もうかれこれ20年くらい前の私(悔しいが若い)。またがっているのが高校生になってはじめてバイト(時給450円)して尼崎のええ加減で調子のいいバイク屋でみつけて5万円で買った初めての愛車、ポッケなのである。高2の春にひとりで四国・九州を10日ほどかけてぐるりと一周したのもこいつと。青春時代のなにもかもをいっしょに過ごした。もうお分かりだろうが今の屋号にもしているほど、一種のすり込み状態だけど私にとってはこのポッケが他のどの単車にも勝る、愛着のあるスタンダードバイクなのだ。

本当はその当時50ccの最高峰であったスズキのRG50γ初期型を先輩から譲ってもらったんだけど(良くある話)、いろいろあって親父の逆鱗に触れて手放すハメになってこれになっちゃったのだ。規制前のガンマは新御堂筋をノーマルで100キロメーターを楽勝でふり切ってしまうほど速かった。ノーヘルOKだったので最高速では涙が目尻からつたってしまうんよ(笑)。

このポッケはそのガンマの半分ほどの速度しか出なかったけど、6インチの小さい小さいタイヤや元気なエンジン、そしてなによりもそのコンパクトさと愛嬌のあるスタイルに惚れてしまってどこに行くにもこいつでビンビン走っていた。今ほどアフターパーツの品質が良くなく、そして豊富ではなかった当時からすでにボアアップ系パーツが何故だか豊富だった為にサルでも速くすることができたモンキー・ゴリラに負けちゃうのが悔しくて、エンジンチューンに手を染めていったのもこいつからである。何度かのバージョンを経て最終的にヤマハミニバカの行き着くところYZ80の20馬力エンジンを積んで向かうところ敵無し状態にしてしまったが、結局気の済むまでいじり倒してわかったことは、ノーマルの3馬力エンジンか、ちょっとがんばっても72ccエンジン(GT80・GR80初期がマフラーフランジネジ式でボルトオンだ)でトコトコと走るのがこいつには最高かもしれない。

モーターショーも今年で22回目。たぶんその最初くらいの時、親父に撮ってもらったのかアニキに撮ってもらったのかもう思い出せないが、写真ってそのときなんでもない記念写真とか、あと2枚残ってるから・・・とかで撮った写真が案外あとからすごーく思い出になったりする。写真って面白いね、20年前がそのまま残ってる。懐かしくてしょーがない。

 

 

 

 

 

 

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